日本のウイスキーは、今や世界中で高い評価を受ける存在となっています。
その歴史は、輸入から始まり、国内での製造、そして国際的な評価へと続いています。
本記事では、日本におけるウイスキーの歴史を時系列で振り返り、その魅力と現状について詳しく解説します。
目次
- 初めてのウイスキー輸入
- 販売目的での輸入
- オールドパーの輸入
- 国内製造の始まり
- 戦後の成長と普及
- 最近の復興と再評価
- 現在の状況と需要
- まとめ
初めてのウイスキー輸入
1871年:猫印ウイスキー
日本に初めて輸入されたウイスキーは、1871年に横浜のカルノー商会が取り扱った「猫印ウイスキー」でした。
これは外国人居住地に住む外国人向けに持ち込まれたものでしたが、日本人への販売を目的として初めて輸入されたウイスキーでもあります。
販売目的での輸入
1871年:猫印ウヰスキー
同じく1871年、横浜山下町のカルノー商会が「猫印ウヰスキー」を日本人向けに販売目的で輸入しました。これが日本で初めて販売されたウイスキーです。
オールドパーの輸入
1873年:岩倉具視遣欧使節団
1873年、岩倉具視遣欧使節団が日本に持ち帰ったオールドパー(Old Parr)は、最初のスコッチウイスキーとして知られています。
このウイスキーは芳醇な香りとまろやかな味わいが特徴で、日本でも長く愛されてきました。
国内製造の始まり
1923年:山崎蒸溜所の設立
日本国内でのウイスキー製造は、1923年にサントリーが山崎蒸溜所を設立したことから始まります。
創業者の鳥井信治郎氏と初代工場長の竹鶴政孝氏がスコットランドでの経験を基に、日本市場に適したウイスキーの製造に取り組みました。
戦後の成長と普及
1950年代〜1970年代:経済復興とウイスキー需要の増加
第二次世界大戦後、日本は経済の復興を遂げ、それに伴いウイスキーの需要も増加しました。
1950年代から1970年代にかけて、サントリーやニッカといった主要メーカーが成長し、現在では多くのクラフト蒸溜所が設立されました。
最近の復興と再評価
1990年代〜現在:角ハイボールと国際的評価
1990年代にはウイスキー市場が厳しい状況に直面しましたが、最近では「角ハイボール」の人気が再びウイスキーの流行を呼び起こしています。
また、国際的にも評価が高まり、多くのコンペティションで受賞するなど、ジャパニーズウイスキーは新たな地位を獲得しています。
現在の状況と需要
2022年:輸出金額の増加
現在、ジャパニーズウイスキーは世界5大ウイスキーの一つとして認知されており、輸出金額も年々増加しています。
2022年のウイスキーの輸出金額は560億円で、最も輸出金額が高くなっています。最大の輸出先は中国で、次いでアメリカ、フランスが続いています。
まとめ
日本のウイスキーは、その独自の風味と品質の高さから、国内外で高い評価を受けています。
輸入から始まり、国内での製造、そして国際的な評価へと続くその歴史は、日本のウイスキーがいかにして世界に認められる存在となったかを物語っています。
これからもその人気は続くでしょう。